夫と結婚したのは、かれこれ10年前。
同業の自営業である夫と私は、それぞれが、仕事の本も趣味の本もたくさん持っていました。
【目次】
私の野望
結婚を前に一緒に住み始めたころ、私は、私の本でも夫の本でも、だれの本かはわけずに、分野でまとめて一カ所に置こうと思いました。
私が夫の本を読んでもいいし、夫が私の本を読んでもいい。
その一カ所をわがやのプチ図書館的なスペースにしたいと思ったのです。
夫と私の仕事や関心と共に、常に本の中身が循環していく、「生きた」図書スペースにしたかったのです。
夫は同業なので、仕事の本は重複するものも結構ありました。
そういうのは一冊を共用にして片方処分すればスペースも有効に使えるし。
お互いの趣味の本を読めば世界も広がるかもと。
そういう気持ちもありました。
がんばって仕分けて本棚にしまっていきました。
私一人で。
私のストレス
しばらくして、私にストレスがたまり始めました。
私は、蔵書は多かったですが、仕事の本も趣味の本も、そのとき「使う」「読む」本ばかり。
本は買えばすぐ読みますし、定期的に処分もしていました。
他方、夫は、本を頻繁に購入する割に、読書している様子はなく、新品のまま「積読」になっていく。
処分をする気配はなく、当時30代半ばで、高校の教科書や資料集までとってある。
「本を捨てる」という発想がないみたい。
私は、本棚に前後に二重に本を置くのは嫌い。
奥の方の本へのアクセスがしにくくなるし、タイトルがみえなくなればその存在を忘れるから。
ギューギューなのも嫌い。
取り出しにくいし、新しく買ってきた本を入れる場所がなくなるから。
夫は、二重だろうが三重だろうが、ギューギューだろうが、置ければよいみたい。
結果、仕事の本で重複がある場合に、本を処分するのはいつも私。
私が本を処分して減らしたスペースに、また夫の積読が増えていくという。
「なんで買ったのに読まないんだろう。」
「なんで読まない本をずっととっておくんだろう。」
「また、本の前に別の本をおいて。」
「高校や大学のテキストはいつまでとっておくんだろう。」
まったく循環しないギューギューつめの本棚。
理想とのギャップにイライラして。
夫とよくケンカもしました。
私の断捨離
その後、私は断捨離を始めて、蔵書をさらに厳選し始めました。
既に厳選したつもりでいたけれど、見つめ直すと、不要な本って出てくるのですよね。
新しい本も随時買ってはいるのですけど、減らすスピードは加速していきました。
あと2年で小学校にあがる娘のために、部屋を作ってやりたいという目標があるのも加速の理由です。
黙々とメルカリに出品、一定期間でvaluebooksに売るのを繰り返して、だいぶ減りました。
古紙回収に出したものもたくさんあります。
まだ減らせると思います。
漫画も結構持っていて、何回かの引っ越しを経ても残った、全員一軍的な漫画たちでしたが、「また読みたくなったらiBooksで買い直そう」と思ったら、処分が加速しました。
今のところ、買い直した漫画はありません。
私の気づき
私の本に限って言えば、かなり減っていますし、循環してるのです。
ただ、本が一カ所に集まってて夫の本と一緒に保管されてるので、片づけても片づけても見た目的にまったく片付かないです。
私にとっての本とは、知識を与えてくれるもの。頭に知識をたたきこむためのもの。
だけど、夫にとっての本とは、思い出や「なりたい自分」が化体したもの。あるいは、必要になったときいつでも手に取れるように所有することに意味があるもの。
そもそも、本に対する考え方が全く違うんですから、「わがやの」理想の図書スペースが作れるはずがなかった。
もう夫の本と私の本を一緒に管理するのはやめよう。
私の本は、別の、もっと小さなスペースで自分の分だけ循環させながら管理しよう。
夫の本は、今までどおり本棚においておくけど、一つの棚に1列だけじゃなくてもいいんだ。
幸い、夫は、本棚に入っていればよく、二重三重にギューギューに詰まっていても一考に気にならないんだから。本棚の限界までつめこもう。
ようやく断捨離できたもの
10年近い歳月を経て、ようやく、私は「理想のわがやの図書スペース」への執着、即ち、「夫の本も含めてわがやの本を思い通りに一括管理したい」という執着を断捨離することができました。
夫には夫の幸せがある。それは私の思う形とは違っていい。
それに気づくのに本当に長い時間がかかってしまいました。
理想とのギャップは自分をイライラさせるだけですし、他人を変える必要のある理想は実現しないです。
変えられるのは自分の行動とマインドだけです。
これからは、自分の行動とマインドを変えることで実現可能な理想を少しずつ実現していきたいと思うのです。